運痴よ死ぬな!

運動音痴は何かとつらいこと多い。つらい時期を振り返って、今どう生きているかを書いてみる。

体育といじめと孤独の続き。

さて、つづきです。
いずれには書こうと思っていますが、父が大変面倒くさい人なので
母が黙っていてくれたことはとても助かった。


危ない行為に及んだとはいえ、外傷はないので何もなかったのと同じ。
翌日はいつもと同じように起床して、いつもと同じように登校した。


いつもと同じように体育の授業もあったけど、この日は久しぶりに授業の前に
図書室に隠れるという作戦でさぼった。


さぼるとあれこれ言ってくる担任も、昨日の出来事の原因が体育だと分かっているので
その日は体育に私がいなかったことを何も言ってこなかった。


多分母が黙っていてくれたのは、私を気遣ってというより
父が絡むと面倒なことになるからだ。
そして、一言もその件には触れず、何事もなかったように私を学校に送り出している。


校長先生も「なんで危ないことをしたのか」っていうけど
何があったかは誰にも聞かなかった。
危ないことをするのはいけないことだと強く言うだけ。


担任も毎年毎年無神経なチーム分けをしたり、罰ゲームを課して私を困らせているくせに
自分にも多少の責任があるなんて思ってもなくて、
問題を起こした私に、今後問題を起こさせない約束をさせて守らせることに
話は終始していた。


聞こえるように悪口を言っていた子は私と目を合わせることなく、とにかく
自分は無関係を装う。


サッカー男子はごまかすように死ななかったことをいじってきた。


どいつもこいつも信じられないなって思ったね。


でも、もう一つ信じられないと思ったのは自分だ。
死ななかったじゃんか。本当に死にたいんかな?死ぬ気あったかな?
死ぬ気なんかなかったんじゃないかな。


これは次回死にたくなった時にきちんと検証するべき案件だと思った。


数日後の帰り道、危険運転のトラックが自分のすれすれを走ってきて
「轢かれるやんけ!ボケがっ!!」
って毒づいたときに、あーこれは全然死ぬ気ないな私って気づくことになる。


ということなので、衝動的に死ぬもんじゃないなって本当に思ったし、
自分は死ぬ気がない人だということがはっきり分かって元気に今に至る。


今となってはいちいち死んでたら命がいくつあっても足りない性格の
困った子供だった自分を反省するのみ。本当に甘ったれでした。


頼んでもないのに勝手に生まれて、運動神経がポンコツで、ブルマ買ってもらえなかったから鉄棒できなくて、ボールと友達になれなくて、体がチビで足も遅くて、死ねっていわれて、死にたくなったと思ったけど、本当は死ぬ気なんかなくて、


この数か月後には全員が犬のゴロよりぶっちぎりで足が遅いんだから、
私が足遅いのどうでもよくないかと気づくことになるのです。


自分じゃない人たちも信頼に値しないが、自分自身も信頼に値するもんではなかった。
だけど、死んだるわ!ってなった結果、死ぬ気がない自分が分かったから、
自分が死ぬ気がないことだけは確かだと思ったね。


このあとも、高校生になってもまだ、大人になってもまだ、自分に体力がないことや体を動かすことが苦手で、困ったり苦しんだりマウント取られたりなめられたり続くんだけど、


サッカー男子や悪口チームの類は、土台合わないから仲良くならなきゃとか
怒らせないようにしたいとか、思うのはいったん放っておくことにした。
どうせ、私が死んだって気にならないやつたちの機嫌とるなんて頭がおかしい。


あっちも私が迷惑かもしれないが、こっちは自分が死にたいんじゃないかと誤解
するほど苦しんでるんだ。足の遅い私よりもおかしな罰を与える担任を恨めよ。
お前らが私を嫌いとか迷惑とか思う量の何倍も何万倍もこっちが迷惑してるし嫌いだわいやって思ったね。


大人には相談しても無駄だと思った。大人は自分の都合が第一だ。
問題の原因とか、私の気持ちとかどうでもいい。
問題を持ち込むやつが問題児なのだから、救いになど来ないし、
私が被害者だとしても、私の味方になってくれはしないだろう。


でも、自分だけは自分で見極めていこうと、そこだけはきちんとすり合わせていこうと決めた。私の問題行動は結局のところ当てつけだったんだから。


小学4年生でやっと担任が変わり、まさかのキャラ変がはじまる。