運痴よ死ぬな!

運動音痴は何かとつらいこと多い。つらい時期を振り返って、今どう生きているかを書いてみる。

鉄棒と羞恥心。

小さい頃の養育者が総祖父母だった私は
ちょっと時代錯誤なお子様だった。


曾祖母の話す方言を口伝に聞いて育っていたせいで
私はとても方言が激しいお子様だった。


方言が激しいだけならよかったが、
その方言が古い方言なせいで、
ときどき保育士さんと言葉が通じず
迎えに来た母は保育士さんに方言の意味を確認されていたらしい。


曾祖母には言葉だけじゃなく、独特の観念があって
体育すわりや、足を出入り口に向けて寝転がることは
はしたないこととして禁止されていた。


フィギュアスケートやアーティスティックスイミングは
足や胸元の露出が大きいため家では見てはいけなかった。


スポーツとして味わう気持ちは持ち合わせていなかったが
きれいな衣装が見れなくて残念だった。


そこからの鉄棒の話である。
確か年長の春ごろ、園庭がきれいに整備された。
それがきっかけでみんなが鉄棒で遊び始めた。


私はスカートで鉄棒をするのが無理だった。
パンツが見えてしまうからだ。
曾祖母の教えがしっかりと自分のものになっていた。
年長のガキのくせに、はしたなくて無理だったのだ。


でも、鉄棒はしてみたかった。
してみたかったのか、自分だけできないでいるのが嫌だったのか。。。


一部、姉がいる友達はブルマをはいているからパンツは見えない。
ということで、いつでもスカートがどうなることも気にしないで鉄棒をしていた。


そのころの自分は、鉄棒はやればできそうなイメージを持っていたのか
母にブルマがほしいと頼んだことがある。


今思えば、ここが生死の分かれ目だったのかもしれない。


母の答えはNOだった。
締め付けるものは体によくないというのが理由だった。


でも、次の年には小学生になってブルマを履くのだから
買ってくれれば、心置きなく鉄棒を練習して
私は今になってもこんな話をぐだぐだ書くほどのことは
なかったかもしれないのになw


かくして、ブルマを手に入れて最下位返上計画はあっさり終わった。
パンツが見えることと、鉄棒がうまくなることを天秤にかけて
私はパンツが見えないことを選んだ。


後に活発に遊ばないことを保育士さんに心配されて
心当たりがあったのか、母はゆるい作りのピンク色の毛糸のパンツを
買い与えてくれたが、バカにされそうでそれを履いて鉄棒をすることはなかった。


そして、人生で一度も逆上がりができないまま今にいたる。
この逆上がりできない問題は高校生になっても私を悩ますのだけれど、
その話もいずれ書こう。


パンツを見せずに鉄棒をできていたら。。。
そう思わないでもないが、ブルマを買ってくれない親をもった子として
パンツ丸出しを恥ずかしいと思わず鉄棒ができる自分になるより、
パンツ丸出しにならない代わりに逆上がりできないで生きる選択をしたことを
後悔はしていない。


でももし自分の子供が同じ理由でブルマを買ってほしいと言ってきたら
一年早めに小学校の体操服を買い与えたいものだと思う。
たとえ、新小学生になったときに使用感のあるブルマを履かせることになっても。